ロッテ1位・佐々木朗希<1>野球経験なしの父が放った本塁打
村上さんはいま、最速163キロを投げるまでになった朗希のパワーに、在りし日の功太さんの姿を重ね合わせている。
功太さんは葬儀店に勤め、母の陽子さんも保険関係の仕事をしていた。しかし、功太さんは翌年の東日本大震災で犠牲になり、一緒に暮らしていた朗希の祖父母も亡くなった。朗希の祖父は、陸前高田で家具店を営んでいたという。
母の陽子さんは被災後、朗希ら3人の息子と大船渡市に移住。同市内にある猪川小学校のグラウンドに建てられた仮設住宅に入った。朗希はこの小学校に転校した。移住後は猪川野球クラブで野球を続けた。小学5年の時には直球が100キロに達した。
大船渡第一中学校に進学し、野球部に入部。3年間で身長が一気に20センチほど伸びた。成長痛や股関節痛に加え、3年生になる直前には腰を疲労骨折。病院に通いながら、練習場でリハビリに励んだ。
■「まだ投げたい!」
中学3年時に在籍していたKWBボールの「オール気仙」の代表・布田貢氏(末崎中教諭)は今年の夏、当時の朗希のことをふと思い出した。