自殺した名ハードラー 依田郁子さんが試合前に行った儀式
表彰式が終わった後だ。依田のコーチである、かつて“暁の超特急”と称された吉岡隆徳(36年ベルリン大会陸上競技100メートル出場)は、顔見知りの記者にこう語っている。
「依田の勝因? このことは記事にして欲しくないんだが、生理前のために最高のコンディションだった。1年後のオリンピックが楽しみだ。今日と同じ生理前なら、メダル獲得は十分ありだ……」
当時はまだ生理用品が十分には開発されず、タンポンなどがない時代。そのためたとえコーチ、しかも男性ならなおさら女性選手は生理や体について告げることを嫌がった。だが、依田はまったく気にせず、日々の体調を詳細に日誌に書き込み、吉岡に提出していた。
■64年東京五輪は5位入賞
57年春だ。全国高校陸上競技大会で80メートルハードル2連覇した依田が、実業団のリッカーミシンに入社した際、指導する吉岡は強い口調で言った。
「私の夢は、おまえをオリンピックに出場させることだ。それを実現させたいんなら、恋愛禁止だ。私とおまえは親子関係だと思え。恋人はスパイクシューズだ……」