ヤンチャくれだった右腕・西山一宇をミーティングで叱責
■「明日の便で日本へ帰りなさい」
試合に向けたミーティング中だった。西山が落ち着きなく、しきりに体を動かしている。私が「どうしたんだ?」と問いかけると、「腰が痛くて……」と反省するそぶりが見られなかった。皆が意欲的にミーティングに参加する中で、意識の低さを感じざるを得ず、「だったら部屋で寝ていろ。明日の便で日本へ帰りなさい」と西山を叱責した。
その後、西山が私のところにやってきた。
「申し訳ありません。メンバーに置いてください」
「残るなら使うぞ」
「はい。使ってください」
私は西山を3戦目の中国戦の五回からマウンドへ送った。3回1安打無失点と実力の片鱗を見せるとともに、ひたむきに投げる姿勢も感じた。
■監督の秘蔵っ子
その後も、翌91年5~6月のキューバ親善大会、7月のインターコンチネンタル大会(スペイン)で招集。全日本のストッパーとして存在感を高めていった。