今はなき近鉄最後のエース岩隈久志に感じる“野武士の気骨”
その中で、近鉄はもっとも悲運の球団扱いされていた。当時のパ球団全体の不人気ぶりに加え、阪急と南海に比べると少し劣る実績(一度も日本一になったことがないなど)、さらに88年のかの有名な「10・19ダブルヘッダー川崎決戦」の悲劇的なイメージが強いのだろう。実際、データや史実だけを見ればそれは正しいのかもしれない。
しかし、これは個人的な印象論なのだが、80年代後半から90年代にかけて少年期・青年期を過ごした虎党の私にしてみれば、このころの近鉄は実に華やかで輝かしいチームだった。80年代後半の近鉄で一世を風靡した細身の左腕エース・阿波野秀幸は、同時期の阪神で中途半端に活躍した左腕・仲田幸司や湯舟敏郎、猪俣隆に比べると何倍も頼もしかったし、ラルフ・ブライアントや中村紀洋、タフィ・ローズら数々の荒々しい強打者を生んだ「いてまえ打線」は我らがダメ虎ピストル打線と対照的だった。
そして極め付きは野茂英雄である。ダメ虎投手陣が10人くらい束になってかかっても、まったく歯が立たないほどの圧倒的なトルネードの魅力は90年代の日本球界に咲き誇った大輪の花であり、それもまた近鉄で芽吹き、育まれたのだ。