原監督“愛のムチ” FA入団1年目の村田修を試合中に強制帰宅
翌日、髪を短く刈り込んで登場した村田は、強制帰宅から2日後のヤクルト戦で2打席凡退。六回2死満塁のチャンスで打席に向かうと、原監督に呼び戻され、「代打・高橋由伸」を告げられた。
またもベンチが静まり返った。原監督は村田に対し、ことさら厳しかったが、実は「修一が活躍しないと優勝できない」と頼りにしていた。これは「愛のムチ」の意味合いが強い。周囲は「元本塁打王」という目で見ていたが、三塁の守備力も高く評価していた。原監督は誰よりも村田を買っていたのだ。巨人2年目の13年には打率・316、25本塁打をマーク。結果を出した。
そんな原監督は私が入った12年から「好きにやっていいよ」「思い切ってやってくれ」と多くのことを任せてくれた。バッテリーとして必要なバントシフト、牽制、ダブルスチール阻止……。多くのサインプレーをつくり、当時のコーチ陣と意見交換をする際、言い合いのようになることがあった。
■「細か過ぎるからケンカになる」
「おまえ、細か過ぎるからケンカになるんだよ」