中国・王軍霞の世界記録を生んだのは「犬のシチュー」か、それとも禁止薬物だったのか
76年モントリオール五輪を見据え、日本陸連の帖佐寛章強化委員長から「一度勉強に行け」と言われ、74年の北欧遠征に研修コーチとして同行した。国立競技場がアンツーカー(赤土)から全天候型トラックになったのは前年のことだが、陸上が盛んな北欧やバルト海を挟んだポーランドでは、田舎町の競技場も全天候型トラックだった。現地の大会は気温が下がり記録が出やすい夜に行われ、遠征中の40日間に5つの世界記録を目の当たりにし、陸上人生で最大のカルチャーショックを受けた。同時に、教え子をこんな大会に連れていきたいと思った。この体験がなければ、おそらく指導者を続けていなかっただろう。指導者こそ積極的に海外へ出て行き、強い選手を間近で見るべきだ。(おわり)