元日本ハム南竜次さん ブラック企業勤めの苦い経験を糧に起業、モットーは「人は宝」
原点は甲子園優勝を経験した天理高時代に
自身が前職の会社で不遇を味わったから、従業員には同じ思いをさせたくない。自分がされて嫌なことはしないというマインドの原点は、甲子園優勝を経験した天理高時代にあった。
「野球をやっていなかったら今の自分はない。特に天理高の経験が生きています」とこう続ける。
「絶対に戻りたくないぐらい、寮生活は地獄でした。もう一度やれと言われたら、仮に1000万円もらっても嫌ですね。監督からの体罰はなかったけど、先輩がヒドかった(苦笑)。しかも、細かいルールがたくさんあったんです。例えば、下級生は扇風機や冷蔵庫は使用禁止。食事の米の量も制限されたし、味噌汁に具を入れてはいけなかった。他にも……。そんなくだらないことは、僕らの代で終わらせようとなったんです」
過酷な環境に耐え、南氏が最上級生となった2年秋から、部員による投票で選ばれた主将を中心に部内改革を断行した。
「当時の監督いわく、天理高史上初の満場一致で主将が選ばれた。選ばれたのは僕ではなく、寺川というヤツです。その寺川が働きかけて、随分と暴力や上下関係の変なルールが減ったと思う。僕も彼の方針には大賛成でした。思い返せば、あの時に自分たちが変われた経験は財産になっています。もちろん、苦しい生活をやり切ったことも、今に生きている。あの日々よりもしんどいことはありませんでしたから。精神的、肉体的に強くなれました(笑)」
現在、南氏が経営する「株式会社AIRECサービス」は順調に規模を拡大。委託先は100人ほどいて、彼らが抱える見習は50人ほど。その他、運送や運搬を専門とする人員を含め、傘下は200人に届く勢いだ。
「これだけ人員がいても、仕事はなくなりません」
エディオンから任されている拠点は愛知県の豊田センターや、三重県の四日市センター、兵庫県の尼崎センターなど、エリアを広げている。
「今のところ、経営は順調すぎるくらい順調です。僕だけ独り勝ちするのではなく、僕の取り分を減らしたり、『育成費』を設けることで、みんなで儲かるようにしたのが良かったと思います」
自分の半生を振り返った南氏は感慨深げに言う。
「やっぱり、『人は宝』です」
▽南竜次(みなみ・りゅうじ) 1972年、大阪府高石市生まれ。天理高(奈良)のエースとして夏の甲子園を制した90年、ドラフト4位で日本ハムに入団。97年に自由契約となり、米独立リーグのセントポール・セインツを経て98年に引退。NPB通算11試合、0勝0敗、防御率12.08。99年、灯油を巡回販売する会社に就職。2006年、「株式会社AIRECサービス」を起業。現在は従業員約200人を抱え、東海・関西地方で家電の設置工事などを請け負っている。