朝潮の「あしたは思い出の一番にしたい」は角界の掟破り 願いは黙っていれば実現した
■期限を切った「引退表明」が増えた
同じ高砂部屋の富士桜は朝潮が初優勝した85年春場所が最後。この時も終盤に幕下転落が確実となったが、優勝パレードで旗手を務めるため、千秋楽まで現役でいた。元富士桜の中沢栄男さんは「一緒にオープンカーに乗ったのが一番の思い出」という。
プロ野球では、2006年に日本ハムの新庄剛志(現監督)が開幕早々、「今季限り」と宣言して驚かせたが、今や他の競技でも期限を切った表明が増え、最後の日々は「引退興行」と化す。
ただ、重要な公式戦が誰かの引退試合になる場合もある。五輪代表選考の対象となる大会で、当落線上の選手と引退を表明している選手が対戦することさえ起こり得る。ファンはどんな目で見たらいいのだろう。
その点、角界のおきては明快だ。黙っているか、すっぱり引退するか。2人の兄弟子と大関の朝潮では立場が違うが、あと一番だけ黙って取ればよかったのに。思っていることをしゃべらずにいられない性分が、現役の最後にも出たのだろうか。
▽若林哲治(わかばやし・てつじ)1959年生まれ。時事通信社で主に大相撲を担当。2008年から時事ドットコムでコラム「土俵百景」を連載中。