「介護のうしろから『がん』が来た!」篠田節子氏
20年以上にわたり“通い介護”してきた認知症の実母が老健(介護老人保健施設)へ入所した直後に、自身の乳がんが発覚。治療法や病院選び、母の世話問題、仕事はどうなる、そして母の今後の入所先は? 選択と決断が怒涛のごとく迫りくる……。熟練の小説家が直面した、そんな誰もが体験してもおかしくない介護と闘病の日々を描くルポエッセーだ。
「私は幸いステージ1~2で今はこうして元気ですけれど、介護者のほうが病気になって先に逝くことって、周りにも男女を問わず本当に多いです。『自分に病気が見つかったらこの人を誰が看るの』と検査に行かないし、病院に行く暇もない、と。そうして病気が進んで亡くなるのは明らかに“介護戦死”なのに、その実態は隠されちゃっているんです。『戦後生まれは成人病が多いから親より先に逝くねぇ』で片づけられたり、残された家族が『介護のせい』と認めたくない心情も大きいでしょうね」
片側の乳房全摘と再建手術を受けた著者は、ひと息つく間もなく、3カ月ルールで退所しなくてはならない老健の次に母を入所させる施設探しに奔走する。シビアな現実続きのルポだが、全編を貫くのは客観性とユーモアだ。術後の炎症を見て「右だけが、叶恭子になっている」とのけ反り、乳がんサバイバーである巨乳の先輩には「私が温存しても、ないものはない」と軽口を叩く。
「がんを扱う本やテレビって深刻な病状のものがほとんどで、患者が人生について深く考えたりするでしょう。でも実際にがんになってみたら、そんな暇はなかったですね。がんの手術は早くするに越したことはないし、乳房再建するかどうかにしても、私は形成外科の予約に奇跡的に空きが見つかったと言われて即決しただけのこと。テレビ通販の『あと10分だけ、このお値段!』みたいなノリでね(笑い)。実際には私のようなステージの患者のほうが圧倒的に多いわけで、そういう人が参考にできるリポートを書いたつもりです」
本書には、闘病・介護ものには珍しく、2度の海外旅行の逸話も入っている。術後25日でのバンコク旅行と、母の入所先を探している最中のパラオ行きだ。
「医者はすんなりOKでした。タイではそりゃ手術の痛みはありましたけど、痛いのは家でじっとしてたって同じでしょ。闘病や介護中って、『こんなことしちゃダメだ』と本人が自己規制をかけてしまうことが多いんじゃないでしょうか。私の音楽仲間にも、姑の介護がきっかけで趣味のバイオリンをやめちゃった人がいます。周りにどう思われるかって気にして」
著者や友人たちの経験上、配偶者など近しい家族よりも、ご近所や遠い親類などがこういうときに「不謹慎」などと批判しがちだという。
「『私は4人看取ったのよ』なんて、エラそうに説教する年寄りがいるんですよ。でもね、昔は農家で年老いた舅が倒れて嫁が何するかっていっても、野良仕事に出る前に枕元におにぎりと水を置いておくだけ。それが食べられなくなってきたら、『ああ食が細くなってもう長くないね』で、3カ月くらいで亡くなる。たいていそのくらい短期間の介護で、扱いもラフだったんです。今は介護士さんがやるべきことを事細かに教えてくれますけど、そのぶん家族の負担は増えるし、10年20年介護するって、かつてない異常な状態ですね。介護を続けながらも、自分の仕事や生活をいかに維持するかを考えないといけない時期にきていると思います」
(集英社 1300円+税)
▽篠田節子(しのだ・せつこ)1955年東京都生まれ。90年「絹の変容」で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。97年「女たちのジハード」で直木賞、09年「仮想儀礼」で柴田錬三郎賞、19年「鏡の背面」で吉川英治文学賞など、数々の文学賞を受賞。「竜と流木」「肖像彫刻家」など著書多数。