「スバル」野地秩嘉著
第2次大戦中、戦闘機を造っていた中島飛行機は、戦後、GHQの指令で飛行機を造れなくなった。
中島飛行機から分かれた会社のいくつかが富士重工として合同し、軽自動車を造ろうという動きが生まれた。プロが操縦する飛行機と違って、自動車は素人の所有者が運転する。自動車設計は素人の行動や嗜好を考慮する必要があった。
日産や三菱重工は欧米の自動車メーカーと提携したが、トヨタと富士重工は自社だけで乗用車開発に踏み切る。富士重工の飛行機設計プロ集団は、文献研究とフォルクスワーゲンの分解調査だけで、トヨタのクラウンと並ぶ性能の試作車をつくり上げた。
飛行機製造の技術で自動車を造った男たちのドキュメンタリー。
(プレジデント社 1700円+税)