「宿帳が語る昭和100年 温泉で素顔を見せたあの人」山崎まゆみ氏
「宿帳が語る昭和100年 温泉で素顔を見せたあの人」山崎まゆみ著
国内には約3000もの温泉地があるが、温泉宿はネット予約が主流になった。QRコードを読み込んでチェックインする宿も増えている。合理的だが、味気なくはないか。電話で予約し、宿の人たちに迎えられた時代が懐かしいと思う向きも多いのでは。
温泉にくつろぎを求めるのは、今も昔も、一般人も有名人も同じ。長年温泉の魅力を発信し続けている温泉エッセイストが、昭和の大スターたちが古き良き温泉宿でのぞかせた素顔やエピソード24話を紹介したのが本書だ。
「世界33カ国、1000以上の温泉を訪ね歩きましたが、日本が世界一だと思います。日本の温泉宿には女将さんがいて、和室と和食を体験できる。共同湯がある温泉地では、地元の人とコミュニケーションできる。日本の文化が凝縮されています。お湯を情緒という付加価値をつけて文化にまでのし上げたのは、日本だけです。本書では、温泉宿のご主人や女将、取り巻く人々にも取材しました」
昭和を代表する渥美清主演の「男はつらいよ」シリーズの42作目「ぼくの伯父さん」(平成元年)の舞台は佐賀県で、ロケの宿泊先は古湯温泉「鶴霊泉」。この地がロケ地となったきっかけは、地元の少年からの「ダムができるので昔の面影がなくなってしまう、町の風景を残して欲しい」という手紙だった。
「滞在中、宿の玄関には村人5000人中500人が集まったそうです。今も宿にポスターが残されていますが、そこには渥美さんと監督のサインと、2人が地元の大勢の人たちと一緒に写った写真が載っています。手紙を出した少年と監督は一緒に砂湯にも入りました。撮影を終えて宿を去る日、靴を履いて立ち上がった渥美さんは、宿の人々を振り返り『寅は、けぇります』と名文句を言って去ったそうです。しびれますよね」
あの高倉健主演の「海峡」(昭和57年)のロケは青森県で、龍飛崎温泉「ホテル竜飛」に滞在した。
「現社長は当時5歳でしたが、撮影が終わってホテルに帰ってきた健さんに、『テツ、テツ』と呼ばれ、遊んでもらったと。部屋にも呼ばれ、かかえきれないくらいのチョコレートをもらったそうです。女将も時折、部屋に招かれ、健さんは『俺はね、無口なんかじゃないよ』とざっくばらんに話したと振り返ってくれました。健さん、寡黙な俳優として知られるのに、意外でしょ?」
ドキッとするエピソードも。昭和56年からNHKで放送された、兵庫県湯村温泉を舞台とした「夢千代日記」。撮影時、主役の吉永小百合や樹木希林が宿泊したのは「湯村観光ホテル(現・朝野家)」だった。
「ホテルに併設されていたスナックのママから聞いたのですが、ママと樹木希林さんが大浴場に行くとき、吉永小百合さんは人目を気にして同行しなかったのですが、脱衣所で樹木希林さんが『この前ね、お母さん(吉永小百合の役)の下の毛に白髪をみつけたの』と、ふとつぶやいた……」
ほかにも、本書に登場するのは、志村けん、松田優作、黒澤明、ジョン・レノンとオノ・ヨーコ、美空ひばり、石原軍団、西城秀樹ら。大スターと宿とのアナログな交流に懐かしい昭和の時代が見えてきて、同じ空気感に身を置きたくなること必至。表紙は、南伸坊氏が描いた登場スターたちの似顔絵だ。 (潮出版 1980円)
▽山崎まゆみ(やまざき・まゆみ) 新潟県長岡市生まれ。温泉エッセイスト、観光ジャーナリスト。跡見学園女子大学兼任講師。国内のみならず、世界の温泉を訪ね、日本の温泉文化の魅力を伝えている。「バリアフリー温泉で家族旅行」シリーズ、「温泉ごはん 旅はおいしい」など著書多数。