大学で教鞭とる映画監督・大森一樹氏 “映画青年”の激減嘆く
中身は「60代の青春映画」だそうだ。
■オープンキャンパスで親世代にサインねだられ
「今の日本映画は若い人向けのばっかり。もうそういうのを撮りたいとも、見たいとも思わない。だけど、夜になると映画が見たくなって、『パリは燃えているか』とかを家でDVDで見るんです。死ぬまでもう見られないと思ってた映画を、また見られて幸せですよ」
体力、健康面の管理もバッチリ?
「だいぶ前から糖尿病の気があります。でも、毎月検診を受け、グッドコントロールですよ。近所のスポーツクラブで週2、3回水泳もしてる。ここ4、5年で7、8キロ体重が減り、血液検査の結果も良くなりました」
さて、大森監督は高校時代から自主映画の製作を始め、京都府立医科大学医学部の学生だった77年、シナリオ「オレンジロード急行」が第3回城戸賞受賞。翌年に同作を監督して映画デビューし、80年、「ヒポクラテスたち」で人気監督となった。
「去年3月に東京国立近代美術館フィルムセンターで、ボクの作品16本が回顧上映されたんです。『ヒポクラテスたち』を見ながら、これのどこが良かったんかなと思ったりしました、ハハハ。ただ、少なくとも今でも全16本、“見られる”映画だと思いましたね」
大学時代の同級生だった眼科医と80年に結婚し、芦屋の一軒家で2人暮らし。
32歳の長女はパチンコ会社の広報担当、27歳の長男はゲーム関係のシステムエンジニアとして東京で働いている。