「2週間の命」と告げることで安らかな死を迎えられるのか
それにしても、ホスピスの主治医はどうして「2週間の命」だと患者本人に告げたいのでしょうか。安らかな死を迎えるには、しっかり残された期間を言うことが必要だと考えているのかもしれません。本当に2週間かどうかは誰にも分からないのにです。
あと「3カ月」や「6カ月」の命と言われる場合と、「2週間」と告げられるのとでは、患者さんが受けるショックは大きく違うと思います。Aさんは、もう治療法がなく、そのためにホスピスに転院した。自分が短い命であろうことも知っているのです。それでよいのではないでしょうか。 ある患者さんから私はこんなお話を聞きました。
「医療者が考える死の受容には、『生きることを諦めさせよう』という考えがあるように思います。医療者側が『あの患者は死を受容しているようだ。生きることを諦めた』と思えると、ホッとしているように見えるのです」
多くの患者さんは、主治医に言われなくても、死が近づくと体力もなくなり、いつの日かは分からないが不確かながら死が近いことを自覚されると私は思います。その時、死ぬ日が決まっているのではなく、その「不確かながら」というところがとても大切なようにも思うのです。