日本海を眺めながら死も考えた…早川史哉さん白血病を語る
心身ともに一番つらかったのは、その年の11月の骨髄移植(造血幹細胞移植)の前後です。長期入院でただでさえ孤独にさいなまれていたのに、骨髄移植のために入った無菌室ではさらに孤独を感じました。奥に小さな窓があるだけの部屋で閉塞感があるのです。日中は家族と面会できましたが、無菌室の中と外で、電話を使って話すだけ。壁一枚あるだけでものすごく遠く感じ、寂しくて、苦しくて、どうしていいかわかりませんでした。
体力もすでにかなり落ち、ただただベッドに横たわり、時が過ぎるのを待つしかない。移植直後は手のひらや足の裏の皮がむけたり、喉が荒れて話すのもつばをのみ込むのも、ものすごく痛くなりました。シャワーも体に当たる水が痛くて浴びられないほどで、無菌室にいた2カ月間は、生きているだけで精いっぱいでした。
その後も一時退院や再入院を繰り返し、治療を続け、完全退院となったのは最初の入院から約1年後の17年6月でした。安堵感に包まれました。
とはいえ、白血病に完治はなく、再発の可能性が常にあります。その恐怖と常に向き合いながら、その後はプロとしてプレーできる体にまで持っていかなければいけません。最初は立ったり座ったり、普通の生活を送ることからスタートです。散歩しただけでも息が上がり、脚がむくみ、疲労感は強烈でした。リフティングしただけでサッカーボールが重い。体の衰えに絶望感がいっぱいで、理想と現実の差に苦しみ、うつっぽくなった時期もありました。