アジア風邪は150万人が亡くなる20世紀2度目のパンデミック
スペイン風邪の“子孫”が大暴れ
スペイン風邪のウイルスはその後、宿主である人間を殺さずに感染拡大できるよう毒性を弱めた形に変化した。その結果、温帯地方では冬ごとに、熱帯地方では季節に関係なく流行しながら、季節性インフルエンザとして生き延びた。ところが、1957年になると、まったく別のインフルエンザウイルス(H2N2亜型)が現れ、20世紀に入り2度目のパンデミックとなる。死者は世界中で150万人に上った。
「流行は2月下旬の中国で始まり、その後、世界各国に感染拡大しました。当時はすでに季節性インフルエンザワクチンや抗生物質が開発されていて、細菌性肺炎の治療もできるようになっていました。しかも、WHOのインフルエンザ・サーベイランス・ネットワークが稼働していたため、ウイルス株をすぐに分析して世界にパンデミック宣言を行い、ウイルスサンプルを世界中のワクチン製造業者に配布したのです。ただ、日本でワクチン使用が始まったのは11月だったためワクチン効果は限定的だと思います」(東京・葛西「弘邦医院」林雅之院長)
さらに、その10年後の1968年には今度はH3N2亜型ウイルス(香港型)が出現し、100万人以上の命を奪った。これが3度目のパンデミックだ。それ以降、それまでのアジア型ウイルスに代わって、香港型ウイルスが新たに季節性インフルエンザの地位を確立した。その間に、スペイン風邪の原因ウイルスである、H1N1亜型ウイルスが再び流行して1977年にソ連風邪を、2009年には、28万4000人が亡くなる比較的小規模な感染爆発を起こした。