悠仁さま「渋渋→東大」プランはなぜ消えた? 中学受験前に起きた小室圭さん問題の影響も
悠仁さまが渋渋に目を向けたのはお茶大付属小の5年に上がった2017年春ごろとみられる。姉妹校の渋谷教育学園幕張が17年度の東大合格者数で78人を記録。速報値で御三家の麻布と並び、4位に食い込んだのだ。その後、麻布に1人がプラスされ5位に落ちたが、大いに注目を集めた。
「渋渋も前年度から始まった東大推薦入試で実績を上げており、両校で校長(当時)を務める田村哲夫氏(現理事長兼学園長)の戦略がずばり当たっていた。東大を目指す層からは頼もしく映った」
■17年には渋渋の文化祭に
こう振り返る前出の塾経営者は「悠仁さまもその一人だった」と推察する。それを裏打ちするかのように17年9月、突如、悠仁さまが渋渋の文化祭に姿を現した。
「下見に来られたとの見方が広がり、田村さんとしてもまんざらではない様子でした。話が来れば、受け入れる腹づもりだったようです」(同校関係者)
だが、それは実現しなかった。前述したように、小室さん問題が勃発。秋篠宮家は対応に追われ、中学受験そのものが見送られることになってしまったからだ。塾経営者は「具体化しなかったものの、渋渋に着目したのはさすが」と感心する。