楽天ドラ2吉持亮汰 母と恩師が語る“オコエ超え”俊足の原点
広陵でも肩と足が評価され、2年春からベンチ入り。3年時は遊撃のレギュラーを勝ち取った。中井監督によれば、「良くも悪くもマイペース。ボーッとした子でした。打撃で目立つ子じゃありませんでした。当時を考えれば社会人野球に行ければいいなあ、というくらいでしたからね。大学に行ってから木製バットで自分を生かす術を学んだのでしょう」と言う。
「家では優しく、明るい子。お笑い番組が好きでした。広陵時代は3年間、寮暮らしでしたから、大商大に進学して大阪に戻ってきた時はほっとしましたよ(笑い)。でも、また遠い仙台でしょう? 心配もしますし、寂しくもありますよね……」
堺の韋駄天が東北の球場を駆け回る。
▽よしもち・りょうた
93年11月4日、大阪府堺市生まれ。小学4年で金岡ジュニアパイレーツで野球を始め、金岡南中学の軟式野球部を経て広陵高に進学。3年時に遊撃のレギュラーを勝ち取るも、甲子園出場経験はない。大阪商業大学では1年から主力。関西六大学リーグ通算62盗塁はリーグ記録(65)にわずか及ばず。リーグ通算90試合、打率.263、0本塁打、30打点。4年春は打率.439で首位打者に輝いた。176センチ、67キロ。右投げ右打ち。