同僚選手が“高井ノート”を懇願「俺のベンツと引き換えに」
その頃、不振に悩む同僚選手のひとりが、高井さんに相談を持ちかけてきた。お目当ては「高井ノート」である。
「おれのベンツと引き換えに、あのノートを譲ってくれないか?」
「悪いが」と高井さんは迷うことなく言葉を返していた。
「あのノートは金やモノやない。わしの宝物や。それはできんよ」
高井さんを他チームはどう見ていたのか。捕手として南海、日本ハム、ロッテと渡り歩いた高橋博士さんが、こう口にしたことがある。
「私がキャッチャーとして阪急戦で気をつけたひとつは、いかに高井さんに出番を与えないかということでした。彼の読みは深い。初球からやみくもに振り回してくるタイプではなく、冷静に配球を観察してくる。特に両サイドには強かったですよ。高めは割と空振りしていたけど、それでもこれといった穴はなかった。だから、ここぞという場面で彼の名前が告げられたときは、『ああ、またか……』と嫌な気分になったものです。スタメンで出てもらったほうが、よっぽど気が楽だった」 (つづく)
▽たかい・やすひろ 1945年2月、愛媛県今治市出身。64年に阪急に入団し、主に代打・DHとして通算1135試合、665安打、130本塁打、446打点、打率・269。通算代打本塁打27本は、いまだ破られない世界記録。今年12月13日、腎不全で逝去。