競泳・長崎宏子さん「12歳の私は気にしていなかったが…」
前年のプレ五輪で日本人初優勝を果たした200メートルでは最初のターンを1位で通過。しかし、後半は伸びなかった。結果はまさかの4位。レースを終えてテレビカメラの前に立つと、涙ながらに「すみません」と絞り出すのが精いっぱいだった。これまで“とんとん拍子”で歩んできた順風満帆の競技人生で、生まれて初めて味わう挫折だった。
「モスクワ五輪当時はボイコットのことを気にしていなかったのですが……。今思い返すと、あの時に五輪特有の雰囲気や、重圧を感じていれば、ロス五輪の結果は違ったかもしれません」
失意の帰国から約1年後に高校を中退。自身のこれまでの人生と将来のことを考え、アメリカ留学を決めた。単身で渡ったアメリカでは言葉の壁にぶつかりながら大好きな語学を学び、同時に水泳も続けた。そうして1988年のソウル五輪に出場したが、中学3年時に出した自己ベスト(当時の日本新記録)よりも約7.5秒遅い、2分37秒44で予選敗退となった。
ソウル五輪後は留学先のカリフォルニア大学バークリー校、ブリガムヤング大学に在籍しつつ、88年から91年まで、全米学生選手権大会200メートル平泳ぎで連続優勝を収め、92年に選手人生を終える。