三菱重工退職後に不運連続 浴びるように酒を飲み肝臓は…
加えて仕事もつまずきの連続だった。宝石や旋盤用のオイルのセールス。心配する友人やサッカー関係者が、立ち直らせようと仕事を世話した。しかし、長続きはせず、連夜の泥酔。結果、仲間からも見放されてしまった。そんな夫に呆れ果てたのだろうか、妻は子供を連れて家を出た。
1978年6月2日、継谷昌三は肝硬変のため神戸市内の病院で息絶え、38年の短い人生にピリオドを打ったのだ。
杉山隆一は、私に言った。
「酒を飲むたびにね、継谷先輩のことを思い出しますよ……」
人生に「もし」はない。だが、継谷の人生をたどると、つい考えてしまう。もし、サッカーをやめず、三菱重工業に勤務していれば……。
もし、会社が倒産していなければ……。
もし、酒に溺れていなければ……。
▼つぎたに・しょうぞう 1940年、兵庫県生まれ。63年に関西学院大卒業後に三菱重工業入社。61年、63年、64年には日本代表のヨーロッパ遠征に選出された。64年東京五輪サッカー代表。