「銅」冨田せな“悪夢の場所”でスノボ女子HP初快挙!恩師が語る挫折と家族とボーリング特訓秘話
高校はアスリートコースのある新潟県胎内市の開志国際高校で3年間を過ごした。同県妙高市の自宅から学校は車で3時間かかるため、寮生活が中心。スノーボード部顧問の横山幹雄さん(56)はこう言う。
「アスリートコースは選手が競技に専念できるコマがあり、週2~3時間はそこで競技に打ち込みます。せなさんは練習中、苦しい時やつらい時も明るく笑顔でいることが多い。お母さんも明るい方で、『やりたいことを好きなだけやらせてあげたい。でも、やるならとことんやらせる』とおっしゃっていた」
■両親ともにスノーボードが趣味
母・美里さんと父・達也さん共通の趣味がスノーボードだった。特に達也さんはスノボの魅力に取りつかれ、名古屋市内の専門学校を卒業すると、スキー場が完備された新潟県妙高市のリゾートホテルに就職。仕事の合間にスノボを楽しめる環境に身を置いた。大橋トレーナーが言う。
「お父さんはスノボが大好きで、朝、ゲレンデとかリフトで偶然会うこともよくあります。9日も応援のために学校まで来てもらったんですが、朝イチの8時半か9時くらいに滑ってから学校に来られていました」