「山林王」田中淳夫著
「山林王」田中淳夫著
桜の名所で知られる吉野山。その山中に埋もれた近代史を、森林ジャーナリストが丹念に掘り起こし、光を当てた。主人公の名は土倉庄三郎。山村から明治の社会を俯瞰し、100年先を見据えて社会改革に取り組んだ山林王である。
庄三郎は1840(天保11)年、吉野川の上流域にある川上郷で生まれた。子どものころから父に伴われて山に入り、家業の林業を学んだ。楠木正成の子孫とされる名家で、もともと豊かだったが、手間と時間をかけて森を育てると、吉野の山はさらに大きな富を生み出した。
28歳のとき明治維新。維新後の吉野山は荒れ、野放図な伐採が行われていた。桜を買ってまきにしようとする商人まで現れた。庄三郎は、保全を目的にすべての桜を買い取ったという。
明治期、木材の資源的価値は非常に高く、三井家と並ぶ資産家となった庄三郎は、個人資産を社会事業につぎ込んだ。特に教育への投資を重視して、同志社大や日本女子大設立に尽力。自身の6男5女にも高い教育を受けさせた。そのほか道路建設への出資、林業経営普及のための全国行脚、災害支援事業など、社会貢献は多岐にわたった。
そんな山林王の元を明治の元勲や自由民権運動家たちが訪れた。彼らとの親交によって、庄三郎は識見を深めていった。国の林政に意見を突きつけたこともある。国有林を地方自治体に売却し、自治体の基本財産として財政を堅固にせよ。山林経営は山に近い自治体に任せるべき。外材の輸入を減らし、国産材の輸出を増やせ……。
請われても、政治家や官僚にはならなかった。金銭欲も権力欲も見えない。目先の損得ではなく、常に未来を見ていた。「社会も森と同じように考えたのではないか」と著者は想像する。森を育てるには80から100年以上かかる。結果が出るのはずっと先。100年先のために今なにをすべきなのか。庄三郎の生き方は、私たちにそう問いかけてくる。
(新泉社 2750円)