病名が重すぎて…看取り士会代表・柴田久美子さん語るがんとの闘い
まず、「家族に伝えられない」と思いました。当時は夫もいて、娘がいて、母や兄もいましたけれど、病名が重すぎて言い出せませんでした。
でも、手術前日に主治医が病室まで来て、「明日の手術で声を失うかもしれません。でも命を救うためだから」と言われたとき、初めて「そんなに大変なことなんだ」と自覚したのです。それで、置いていってくれた睡眠導入剤を横目に「寝ている場合じゃない。みんなに“ありがとう”だけは言わなければ!」と、一晩中いろんな人に電話をしました。ただ、病気のことは伏せたので「こんな時間に何?」と怒られましたけどね(笑い)。周囲にがんだったことを伝えたのは、だいぶ後のことです。
一通り電話をかけてから、最後に、私が憧れている故マザー・テレサに「もしも病気が良くなったら『看取りの家』をつくるので命を助けてください」とお願いをしました。
もともと島に渡ったのは、お年寄りが容易に自宅での死を選べないことへの疑問からでした。病院がない離島ならそれがかなうと思ったのですが、独居だと100歳でも本土の病院に運ばれて亡くなる。せっかく離島まで来たのに、まるで力になれないことがとても大きなストレスでした。なので、看取りの家づくりは私の夢だったのです。