リトルのコーチ証言 清宮は体感150キロの速球を打ち返した
■日本人元メジャーリーガーが直接指導
ラグビー経験も生きているのだろう。日高監督が続ける。
「小4までラグビーをやっていたからか、走り方はラグビー選手そのもの。膝を高く上げて土を蹴るように疾走し、そのまま誰かにタックルをするかのようでした」
中1の時にすでに身長183センチ、体重93キロの巨体だったが、「足も速く、二塁から本塁まで5秒台。チームでトップクラスでした」。
投手としてのセンスも高かった。克幸さんの広い交友関係もあり、幼少期から名だたるプロ野球選手に指導を受けられる環境にあった。克幸さんと親交が深い元メジャーリーガーの小宮山悟氏から投手としてのアドバイスをもらったこともあるそうで、リトル時代は最速126キロを投げた。中1の時に米国で行われた第66回のリトル世界大会では、パナマ戦で大会史上最長弾となる310フィート(約94メートル)の本塁打を放ち、「和製ベーブ・ルース」と現地メディアに絶賛され、優勝投手にもなっている。
「僕は打者として大成すると思っていましたが、投手を続けても面白かったかもしれない。球は速くて球威があるにもかかわらず、ただ単に力でねじ伏せようとするのでなく、ストレートに緩急をつけたり、クイックをしてみたり、打者のタイミングを外そうと頭を使った投球をしていましたからね」(日高監督)
中1の秋、北砂リトルを卒業し、調布シニアの門を叩いた。安羅岡監督は当初、投手になることを勧めた。だが、幸太郎は「投手はやりたくありません」と言い切った。