野村克也氏が嘆く日本野球の今「外野手出身に名監督なし」
当事者として見たWBC監督選定の舞台裏
――監督不作の時代。そういう中でプロ野球界は今、次期侍ジャパン監督の選定作業に入った。今年のWBCを戦った小久保裕紀監督の後任はそのまま、2020年東京五輪の野球日本代表を率いることになる。
そもそもなんで小久保が選ばれたんだ? 経験もなく知識もない。処世術か。小久保っていうのは、処世術が抜群にうまい。取材先で顔を合わすと、一緒に野球をやったことのないオレのところに必ずすぐに挨拶に来る。礼儀正しい人間だと思われたいんだろうな。
――その小久保監督の後任には、原辰徳前巨人監督の就任が最有力とされている。監督原に対する評価は?
ダメ。
――ダメ、ですか?
ダメ。若い時の苦労は買ってでもせよ、と言うでしょ。原は若い時に苦労がない。オレは「坊ちゃん監督」と言ってるんだ、原のことを。苦労がないから、細事に小事に目が届かない。
――とはいえ、巨人監督の12年間で優勝7回、日本一3回の実績を残している。
原のその実績のMVPは渡辺オーナー(現読売新聞グループ本社代表取締役主筆)ですよ。補強をしてくれた。口は出さんけど金は出す。ソフトバンクの孫さんもそう。オーナーのかがみだ。
――確かに、原監督時代の12年間で巨人は12人のFA選手を獲得している。あの長嶋監督時代ですら第2次政権の9年間でFA選手を取ったのは7人です。
原の実績はフロントの手柄だよ。また手前味噌だけど、オレは南海、ヤクルト、阪神、楽天と4球団の監督をやって、引き受けるときはすべて最下位ですよ(実際はヤクルト就任前年は4位)。弱者には弱者の戦略、戦術があるんだけど、そういう経験が原にはない。だから、戦術や戦略というのがない。原の試合後のインタビューを聞いたら一番わかる。自分のPRばっかり。いいことを言おう、ちょっとマスコミ受けを狙おう、という意図がありありと出ている談話でしょ。あれだけ優勝しても名将、知将と言ってもらえないから気持ちは分かるけど。
――日本代表を率いるのにふさわしい人間はいませんか?
オレしかいないだろ。誰も言ってくれないけど。
――09年の第2回WBCの際にも「オレしかいない」とおっしゃっていた。今回も当時と同じく有識者に意見を聞いて代表監督を決めることになっている。
代表監督の人選が難航したあの時、コミッショナー主導でWBC体制検討会議が結成された。メンバーは王貞治、星野仙一、高田繁、野村謙二郎で、オレも招集された。王がリーダーで議事進行をやっていたけど、野村にはやらせたくないというのがありありだった。開口一番、王はこう言ったんだ。「ノムさん、やらないでしょ」って。オレもバカだから、「うん」と言っちゃった。なんであの時、「やってもいいよ」と言わなかったんだろう。言ったら、困っただろうな。(監督は原という)結論ありきの、なんの意味もない会議だったよ。今回も同じじゃないか。まあ、オレは処世術は0点だから。
――処世術優先人事がはびこっている。
オレの人生訓のひとつに「目明き千人盲千人」という格言がある。いい仕事をしていれば見ている人は見ている。そう思ってこれまで生きてきた。かつてはいたんだ、目明きが。90年にヤクルトなんて縁もゆかりもない球団の監督になった。当時の相馬球団社長が突然、私の家を訪ねてきてね。「来年から我がチームの監督をやってもらいたいとお願いにきました」。なんでボクなんですか? と聞くと、「野村さんの解説を聞き、評論を読み、あぁこれぞ本物の野球だといつも感心して見聞きしていました。ぜひとも、うちのバカどもに本物の野球を教えてやって欲しい」とそう言ってこられた。まさに「目明き」ですよ。本来ならそういうことが評価されて監督になるべきなのに、今は処世術が優先で能力が評価されていない。それも監督の人材不足のひとつの原因だと思うね。
(聞き手=本紙・森本啓士)
▽のむら・かつや 1935年、京都府生まれ。54年にテスト生として南海に入団し、65年に戦後初の三冠王を獲得。捕手としては世界初の偉業だった。70年に南海で選手兼任監督を務めたのを皮切りにヤクルト、阪神、楽天を率いてリーグ優勝5回、日本一3回。監督通算1565勝は歴代5位の記録。