阪神・矢野監督の「藤浪続投」の判断に感じる昭和的危うさ
しかし、そういう休養戦略のために、あの日の藤浪を続投させるという矢野監督の判断には疑問が残る。しかも首位攻防となる甲子園での阪神巨人戦である。そんな注目度の高い試合を序盤でぶち壊した張本人として、藤浪は衆人環視の中でさらし者になったようなものだ。おかげでリリーフ陣は休めたが、そのぶん藤浪は今後に残る深刻なダメージを負った可能性もある。リリーフ陣の短期的休養と、まだ26歳の投手が負う長期的ダメージ。矢野監督は前者を優先したのだろうか。
これについて、阪神OBの新井貴浩氏はスポニチアネックスで「藤浪だから続投させたのではないか」「期待の裏返しだと感じてほしい」といった見解を発表した。そういえば以前の金本知憲監督時代にも、炎上した藤浪が懲罰的かつ教育的な意味合いの続投を命じられたことがあった。
矢野、金本、新井。この3人を並べると、なんとなく昭和の体育会的な熱い熱い世界が見えてくる。しかし、今の藤浪にこの手の精神論は危険なのではないか。藤浪はあきらかに自信を失っている。ベンチで涙を流したと報じられるほど苦しんでいる。そんな状態の人間をさらに心理的に追い込むことに教育としての発奮効果があるとは思えない。下手をしたら藤浪を完全に潰してしまう。
それにしても藤浪は本当に深刻だ。これによって次回登板の注目度がさらに高まり、衆人の良くも悪くも好奇の視線がますます向けられることだろう。先述の昭和理論なら、そういう厳しい局面を乗り越えてこそ成長ということだろうが、果たしてそうなのか。