球界OBが今だから明かすプロ野球交流戦秘話(セ・リーグ)
秦真司(巨人・一軍バッテリーコーチ)
コロナ禍の昨年は見送られたものの、2005年から続くセ・パ交流戦も折り返し。選手、コーチとして経験した6人の球界OBが、秘話、ハプニングを明かす――。
■巨人は仙台での焼き肉で決起集会
1年に1度、楽天の本拠地・仙台で「イベント」は行われた。市内の焼き肉店で原辰徳監督主催の決起集会が行われるのだ。
首脳陣、選手、スタッフ総勢で約70人ほどが、バス2台に乗り込んで仙台牛を扱う有名焼き肉店へ向かう。おのおのが各テーブルで勝手に注文しまくるため、総額は150万円は超えただろう。
監督主催の仙台食事会は07年から行われているという。監督のテーブルにはコーチ陣が座る。あまり野球の話にはならず、時事ネタ、ゴルフ、ワインなど酒の話、春のGⅠシーズンでもあるため、競馬の話で盛り上げる。だから、馬券を買ったり、私を含めてワインにはまるコーチは多く、原監督の趣味を“勉強”する関係者は多かった。
川端順(広島・一軍投手コーチ)
■深夜1時に助っ人から電話が、4時までグチを聞く
04年にチーム防御率4.75と崩壊した投手陣を救うべく、05年に安仁屋さんが投手コーチに復帰した。同コーチは春のキャンプで「2500球」の投げ込みを指令。主力投手の佐々岡、黒田らが投げ込んで初の交流戦に臨んだものの、初年度からつまずいた。
初戦の西武戦は先発デイビーが3発の本塁打を浴び、13失点の炎上で大敗。6月に入ると投打の歯車が全くかみ合わなくなり、5連敗、6連敗と大型連敗を繰り返した。
場所は札幌だった。深夜1時ごろ、デイビーと抑え投手のベイルから電話がかかってきた。
「アニヤさんはもう寝てる? それなら起こしてくれ。話があるんだ」
連戦連敗の鬱憤を晴らすべく、安仁屋コーチと投手コーチの私は「反省会」と称し、「すすきの」へ飲みに出掛け、夜の11時半に宿舎に戻り、寝ようとしたところだった。かくして助っ人投手2人と通訳、そして私は、安仁屋コーチの部屋に集まり、缶ビールを何十本も空けていく2人のグチを聞くことになった。
デイビーはこう言った。
「あの時、何でオレを代えたんだ?」
ベイルは「そもそも何でオレは先発じゃなくてクローザーなんだ?」と2人して口角泡を飛ばしながら訴えてきた。ベイルは前年、先発で11勝を挙げていた。彼らによれば、投球回数や勝ち星による細かいインセンティブ契約を結んでいるらしく、「納得がいかない」とのことだった。負けが込み、選手たちもイライラがたまっていた。酒盛りは朝方4時ごろまで続いた。翌日、山本浩二監督に「おまえら酒臭いぞ。ほどほどにしろよ」と注意されたが、助っ人のグチを聞いていたとは言わなかった。
終わってみれば、11勝24敗1分けでセ・リーグでは最下位の11位。投手陣の不調が原因で最終的に借金26を抱え、1993年以来12年ぶりの最下位に沈んだ。山本監督、三村ヘッドコーチ、安仁屋投手コーチは成績不振の責任を取って辞任。内田打撃コーチもチームを去り、私はフロントに異動となった。この年2000安打をマークした野村も現役を引退。チームは解体された。
飯田哲也(ヤクルト・一軍守備走塁コーチ)
■他球団の途中経過が苦痛
コーチとして嫌だったのは、試合中のバックスクリーンに映し出される他球場の試合経過。
ヤクルトは交流戦が苦手だった。他球場の経過を見て、「うわー、セで負けてるのウチだけかよ」というケースが何度かあった。
リーグ戦なら負けても1日につき3球団との差がつくだけ。交流戦だと最悪5球団に差をつけられかねない。だから、いつも以上に他球場の戦況が気になった。