五輪アスリートを見下す政治家…有観客決定でも置き去りに
アスリートはこの決定を喜んでいるだろうか。
政府、東京都、組織委員会、国際オリンピック委員会(IOC)、同パラリンピック委員会(IPC)の代表者による5者協議は21日、東京五輪の観客上限について、会場の定員50%以内で最大1万人とすることを正式決定した。IOCやスポンサー関係者ら、いわゆる“五輪貴族”は大会運営に関わる主催者として扱われ、1万人には含まれないとのことだ。
東京五輪の開幕(7月23日)まで1カ月。忘れてはならないのは、コロナによる死亡者累計数(厚労省発表)は1万4000人を超えているという現実だ。関連死を含めれば、実際にはそれ以上の数だし、今も死亡者は毎日カウントされている。政府の危機対応の拙さ、感染対策の遅れなどで、多くの人が命を落としていながら、菅首相は東京五輪について、「感染対策をしっかり講じて、世界から選手が安心して参加できるようにするとともに国民の命と健康を守っていく。これが開催の前提条件だ」と胸を張る。国民の命はずいぶん軽いものだ。
政府の新型コロナ感染症対策分科会の尾身茂会長は「今のパンデミック(世界的大流行)の状況で(五輪を)やるのは普通はない」と言った。異常事態の中での開催について政府は「安全・安心」や中止の基準などを示さずに強行開催に突き進んでいる。
■「主役となるアスリートは『政治利用』されている」
国士舘大学の非常勤講師でスポーツライターの津田俊樹氏は、「基準を示すことができないのではなく、基準を示せば感染状況によっては大会中止を余儀なくされる。五輪成功の余勢を駆って秋の衆院選に突入したいという計算が透けて見える」と言って、こう続ける。
「開催可否の議論がいつのまにか有観客となった。菅首相のなし崩しの開催は、『いざ五輪が始まれば、日本選手のメダル獲得で国民は大いに盛り上がる』という読みがあるからでしょう。一方、五輪の主役となるアスリートは『政治利用』されている印象が強い。例えば、五輪1年前のイベントです。白血病からの復活を期す競泳の池江璃花子選手を起用し、世界へ向けてメッセージを発信した。池江選手本人は『利用されている』とは思っていないかもしれませんが、当時は免疫力が落ちてコロナ感染も心配された。2024年パリ五輪を目指すと言っていた池江選手を、コロナで延期になった五輪のイベントに引っ張り出したことに批判の声も多かった」
イベントの際、池江は「1年後、オリンピックやパラリンピックができる世界になっていたら、どんなにステキだろうと思います」と語っていた。実際にはコロナ感染は終息に至らず五輪は開催される。アスリートも複雑な思いだろう。
1年延期の電話会談でJOC山下会長は蚊帳の外
4大会連続で五輪代表になった体操の内村航平の一件もそうだ。昨年11月の国際大会で、「できないではなく、どうやったら(五輪が)できるか? を皆さんで考えてほしい」と、五輪開催を訴えた言葉も多くの政治家が引用。体操関係者たちは眉をひそめた。
アスリートたちは、政府や組織委などに都合のいいときには利用されてきた。しかし、1年開催延期の決定からここまでまったく蚊帳の外に置かれていた。
昨年3月、安倍前首相がIOCのバッハ会長にオリ・パラの1年延期を申し出た電話会談の席に、日本オリンピック委員会(JOC)の山下泰裕会長がいなかったのは象徴的だ。
山下会長といえば現役時代、政治に翻弄された1980年モスクワ五輪の柔道で金メダルが期待されながらボイコットに泣いた。あのときは自民党の圧力はあったものの、競技団体の代表が一堂に会し、意見を述べる機会はあった。選手である山下氏もJOCに「五輪に行かせてほしい」と訴えた。
「当時はボイコット、今回はコロナ禍での開催と状況はまったく異なる。今の選手は個人でスポンサーや用具契約を結ぶなど、プロ化した。スポンサーのイメージなどを考え、素直に発信できない事情はわかる。でも、多くの政治家たちは『アスリートファースト』と言いながら、『おまえらは難しい話には首を突っ込まず、黙って跳んだり、投げたり、走ったりしていればいいんだ』と思っているはずです。要するにアスリートを見下しているのです。これはスポーツ界が黙ってきたツケでもある。今回も、政治主導のコロナ五輪に乗っかっているだけ。世界の目には奇異に映ります」(前出の津田氏)
菅首相らは「選手は五輪をやりたいから、どんな条件でも黙って従う。観客だって入れることに大賛成だろう」という腹に違いない。
■「黙認でアスリートの価値が下落」
そんなスポーツ界に苦言を呈したのは、ラグビー元日本代表の平尾剛氏(神戸親和女子大教授)だ。日刊ゲンダイで連載中の「私が東京五輪に断固反対する理由」(16日付)に登場し、こう言っていた。
<現役の指導者、アスリートは立場上、発言しにくいことは理解できます。選手は自分のパフォーマンスを向上することに精いっぱいで、それどころではないのかもしれません。しかし、当事者である以上は当然、責任は生じているはずです。この状況下で五輪を開催するのは果たして適切なことなのかどうか、意見を発信してもいいのではないでしょうか>
<IOCや組織委の運営の仕方にも意見すべきだし、許容できないことがあれば、もっと怒りを見せてもいいと思います。スポーツ界は長らく団体に不都合なことには目をつぶってきましたが、このままIOCの横暴を黙認するようならアスリートの価値の下落は免れません>
モノ言わぬアスリートに政治屋はほくそ笑んでいる。