<11>50年以上の時を経て、再び東京五輪が行われ、日本代表の公式ウエアになるとは夢にも思わなかった
ナイトらが設立した会社(ブルーリボンスポーツ)は日本からオニツカのシューズを輸入し、米国で人気を得た。
ナイトが東京五輪を視察に来た際、オニツカのブースで挨拶した。ハンサムで好青年という印象だった。数年後、オニツカの貿易部長が米国進出を計画するなど、もろもろの事情からナイトの会社と代理店契約を終えた。
やがてブルーリボン社はナイキと社名を変え、米国からプーマ、アディダスが強い欧州へと市場を拡大していった。
■トップ選手を攻略する「頂上決戦」
各競技でトップ層の選手たちは、山にたとえると頂上に位置する。山の中腹は次のレベルの中間層。裾野は最も競技人口の多い一般の人たちの底辺層だ。中間層、底辺層のアスリートは、トップ層の選手が使うブランドに大きく影響を受ける。スポーツプロモーションの原型は、トップ選手を攻略すること。鬼塚社長はその手法を「頂上作戦」と呼んだ。
ナイキは陸上のカール・ルイス、バスケットの神様、マイケル・ジョーダン、ゴルフはタイガー・ウッズもつかまえた。あらゆる競技のスーパースターと他社が真似できない高額条件で「頂上作戦」を展開してきた。