びわ湖に続き福岡国際マラソンにも幕…日本陸連の財源“標的”が大衆レースという愚
陸連が乗り出すのは1964年の東京五輪前後、寺沢や重松が世界記録で走り、円谷が銅メダルをとり、テレビ中継が始まってからの、いわゆる「いいとこどり」なのだ。
福岡国際は暮れの風物詩として数々の名勝負を生んだ。初めて2時間10分を切ったクレイトンに食らいついた佐々木精一郎、ショーターの4連覇、宗兄弟と瀬古利彦のデッドヒート、氷雨の博多を突っ走った中山竹通の爪先走法……。当時の国内招待の報酬は交通費と宿泊費込みで10万円、しかも「内密に」だった。
肉体表現のスポーツは刻々と変化していく。陸連は今後の対策に机上の空論を振り回す。
国内すべてのロードレースを統括しようと、瀬古利彦をリーダーに祭り上げ、ロードランニングコミッション(JRRC)を立ち上げた。市民ランナーの登録による財源確保が目的で、仕組みは実に複雑。東京五輪で採用した代表選考方式(MGC)に倣って国内大会を差別化・シリーズ化し、ポイント制でMGC出場資格を競わせるという。シリーズ1位の男女をチャンピオン(賞金600万円)として称える……。