巨人では藤田元司監督に“ノミの心臓”斎藤雅樹を「強気のリードで何とかしてくれと」
元号が平成に変わった1989年に、私は巨人へトレード移籍となり、藤田元司監督に真っ先にこう言われた。
「捕手として評価している。中尾の強気のリードで斎藤雅樹を何とかしてくれないか?」
私は外野手に転向していたが、捕手にこだわりがあったのでうれしかった。とはいえ、巨人の正捕手は87年MVPの山倉和博。私は82年にMVPを取っていたため、マスコミは「MVP正捕手争い」とあおったが、「絶対に正捕手を奪ってやろう」なんて気持ちは毛頭なく、「また捕手ができるのだから、ひとまず斎藤の球を受ける試合は頑張ろう」くらいしか考えていなかった。
■「この辺に投げればいい」
斎藤は前年まで主に中継ぎで一軍と二軍を行ったり来たりしていた。ただ、受けてみると、サイドハンドから浮き上がる軌道で球威も抜群。正直なところ、この球がなぜ打たれるのか分からなかった。
問題は斎藤のメンタルにあった。当の本人が自身の球や能力を信じられないでいた。だから、思い切って打者の内角をつけない。「絶対にコントロールミスはできない」と自分にプレッシャーをかけて腕が振れなくなり、甘く入ったところを痛打されるという悪循環に陥っていた。私は斎藤に繰り返しこう言って聞かせた。