増加する「失語症」患者、言葉のプロ2人が語る発症のつらさ・回復・夢…原因となる脳卒中は冬に多発
高次脳機能障害のひとつ、失語症は1年に6万人が発症。患者数は50万人に上ると推計される。高齢化やメタボ患者の増加による脳卒中患者の高止まりで、失語症患者も増加傾向だ。原因となる脳卒中や事故も冬に多発するだけに要注意だが、この病気と折り合って前向きに生きる言葉のプロもいる。そんな2人に話を聞いた。
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まず1人目は、言語聴覚士(ST)の関啓子さん(72歳)だ。STは、いろいろな原因で言葉によるコミュニケーションにトラブルを抱える人をサポートする専門職で、失語症や聴覚障害、言葉の発達の遅れ、発音の遅れなどの治療には欠かせない存在。そんな失語症の現場を知り尽くすプロに病魔が襲ったのは2009年7月。巨人軍の長嶋茂雄終身名誉監督なども苦しめた不整脈を原因とする心原性脳塞栓だった。
「当時は、神戸大大学院保健学科教授として仕事が忙しく、ストレスも多く、不規則な生活が続いていました。脳卒中の怖さはよくわかっていたので、心原性脳塞栓の予防に血液をサラサラにする薬を服用していたのですが、煩雑さから服用を休止、心臓にできた血栓が脳の血管に流れ着いて詰まらせたのです。薬の服用をやめたことが悔やまれます。その一方で、自分で体験したことで『患者さんの気持ちが少しは分かるようになった』と前向きにも考えました」
神戸市内の繁華街で突然、脚に力が入らなくなって倒れた。それでも救急搬送される車内では意識があり、症状の分析から梗塞部位は脳の右半球と冷静に判断したそうだが、その後の闘病生活では病気を知るプロだからこそ「本当に悲しくて絶望したことも事実です」と本音も語る。
言語機能は左脳にあることが分かっていて、梗塞部位が右脳なら失語症をはじめとする言語障害は起こらない。ところが、左利きの人は一部を右脳が担うこともあるそうで、右脳に梗塞ができた関さんも失語症を患ったとみられるという。
専門家としてあらゆる知識や経験を生かし、とことんリハビリに励み、発症後は車椅子だったが、わずか10カ月で職場復帰できるまでに回復した。その過程での記録は、著書になっている。
■夫は「たまにいじわるします」
関さんは発症前から、学生時代に出会った男性と結婚していたが、神戸での生活は単身赴任だった。復帰後はさすがに一人での生活に耐えられなくなり、1年ほどで神戸大の職を辞し、いまは東京で夫の和義さんと一緒に暮らす。「治療法のデパート」と笑うほど、あらゆるリハビリ法を試したそうだが、「利き手の左手にはいまもマヒがあり、強烈な違和感も常に残っています。発症前の自分が100点とすれば、いまの状態は60点か70点です」という。
一方、和義さんは妻が倒れたとき、東京にいた。突然の一報にも「何とかなるさ」と動じなかったそうだが、妻が辞職する前の09年12月、仕事を早期退職して妻のサポート生活に回った。料理や洗濯などほとんどの家事をこなし、食事や入浴などの介助もする。
ただし、関さんは講演や著作の仕事を受けると、講演資料や原稿は、すべて夫のサポートなしで仕上げるというのだからスゴイ。
「妻は本当に優秀だったが、今では私も少しは存在意義を感じられるようになりました。たまにちょっといじわるもします」と和義さんが笑う。
高次脳機能障害やリハビリについて研究を進める関さんは22年、日本メロディックイントネーションセラピー(MIT)協会を設立。MITは音楽的要素を取り入れた失語症者のための話し方訓練技法で、70年代に米国で開発された。日本語と英語では言語構造が違うため、80年代、4拍子のリズムに乗せて歌う日本語版を開発したのが関さんだ。
「脳が受けた部位の損傷は完治しませんが、適切な訓練を続けることで別の部位に機能を代替させることができる。たとえば、(思っていることをうまく言葉で話せない)ブローカ失語者の場合、言葉を4拍子にすると発話しやすくなるのです」
■「MITトレーナーを広げたい」
一般的なリハビリは患者を幼児扱いして自尊心を傷つけ、回復にも限度があるという。MITでは、言語聴覚士が失語症患者と向き合って座り、リズムをつけながら単語や文章を歌い、復唱するのに合わせ、患者の左手に触れたりする。そうやってダメージのない右脳を刺激して、言語機能の代替を図る。
MITトレーナー認定試験は簡単ではないが、関さんは「(現在延べ91人の)MITトレーナーを広げるのが夢」だという。