スノボ女子ビッグエア鬼塚雅 恩師が明かすメダル候補の素顔「目指すなら霊長類最強」
14日、スノーボード女子の鬼塚雅(23)がビッグエアの予選に挑む。
2014年ソチ五輪は年齢制限もあり参加資格を得られず、18年平昌大会で五輪デビューを果たした。19歳のことだった。
しかし、メダル有力候補として臨むもビッグエアは8位、スロープスタイルは19位。結果を残すことができず、「オリンピック、あんまり好きじゃないなって思います」と、うなだれた。
「それからの4年間の活躍は目を見張るものがあります。W杯ではビッグエア、スロープスタイルともに表彰台の常連になった。いまや女王としての風格が感じられます」と話すのは、02年ソルトレークシティー五輪スノーボード女子ハーフパイプ日本代表で、鬼塚を幼少期から見守る橋本通代さんだ。交流は橋本さんが03年から運営するスノーボードプログラム「キララキャンプ」に当時5歳の鬼塚が参加したことから始まった。
熊本から福島まで車飛ばすパワフルな母
「お母さんの運転する車で熊本県から福島県のアルツ磐梯まで来てくれて。パワフルなお母さんに隠れているような子でした。華奢で手足が長く、可愛らしい子だなというのが第一印象です。でも、滑ったらサマになっていて。子供ならではの『可愛い』ではなく、格好よかった。スノボ歴は浅かったようですが、20年近い指導歴の中で幼少期にあれだけの滑りを見せたのは2人しかいません。運動神経も良く、施設の廊下を逆立ち歩きしていたり、ワンパクな一面もありましたね」
それから鬼塚は毎年のように母に連れられキララキャンプに参加した。大器の片鱗をのぞかせていた鬼塚に対し、橋本さんは躍動する少年少女を取り上げるデモムービーへの出演を依頼した。
「雅は小学3年だったかな、その時の出来事から、私は雅を人間的に信頼しているんです」と、橋本さんは続ける。
■「手本を見せて」
「雪山を4時間登ったところに天然のジャンプ台を作って、そこを飛ぶところを撮ろうという企画でした。でも、直前になると、人工物しか飛んだことのない雅は怖がって泣き出してしまった。そして私に『まず手本を見せて』と言ったんです」
この時、橋本さんは妊娠が発覚したばかりだった。
「まだ安定期に入っておらず、何があるか分からないので周りに公表できない。本当は4時間の登山も避けたかったんです。ジャンプなんて、もっての外で(笑い)。だから雅に『内緒なんだけどね』と事情を話した。すると、『……分かった』と、飛んでくれて。その後も誰にも言わず秘密にしてくれました。出産を知った雅のお母さんもビックリしていて、ご両親にも黙っていてくれたんだなぁと……」
その翌年から鬼塚にはスポンサーが付き、小学5年時から国際大会に出場するようになる。
憧れの人は“霊長類最強”吉田沙保里だった
15年は16歳にして日本人女子初、大会史上最年少で世界選手権女子スロープスタイルを優勝。ちょうどその頃、橋本さんは鬼塚に憧れの人を尋ねると、「まさか」の答えが返ってきたという。
「スノーボード選手ではなく、『レスリングの吉田沙保里さんのようになりたい』って。仰天しました。競技の枠に縛られず、目指すなら霊長類最強、みたいな(笑い)」
そんな鬼塚へ橋本さんはエールを送る。
「スロープスタイルが冬季五輪に登場したのは14年ソチ五輪から、ビッグエアは18年平昌五輪からと歴史が浅い。国内で両種目の強化指定選手や育成などの枠組みができたのもここ数年のことです。雅たちの世代の活躍で道が切り開かれていきました。ずっと最先端を走り続けているんです。だから、北京五輪では気負って結果にこだわりすぎるのではなく、のびのびとやってほしい」
師の思いを背負い、北京の空を飛ぶ。