ロッテ吉井新監督はなにも心配はいらない 時の上司とやりあってきた経験が必ず生きる
ロッテの吉井理人新監督(57)から、電話があった。開口一番、「誰よりも自分がビックリしているんですが……」と言う彼に、「よかったな。おめでとう。自分のやりたいように、思い切りやったらいい」とだけアドバイスさせてもらった。
吉井監督とは近鉄時代にコーチ、選手として苦楽をともにした間柄。会えば、「自分の師匠。ソフトバンクでの投手コーチ時代、中継ぎ投手にローテーション制を採用しましたが、あれだって、思いっきり、権藤さんの影響です」と持ち上げてくれるが、私には戦友、同志という思いが強い。
近鉄時代は2人して当時の仰木彬監督とやり合った。目の前の勝利に集中する仰木さんと、先を見据えて投手をやりくりしたい私。「仰木マジック」と言われた独特の勝負勘は、投手に無理を強いることが多く、選手からも用兵に異を唱える声があったが、その筆頭格が吉井だった。
中でも1989年、近鉄が優勝を決めた試合が印象深い。当然、最後の場面はストッパーだった吉井に任せるべきところを、仰木さんは先発エースの阿波野秀幸を指名。私と吉井は、歓喜の胴上げに加わらなかった。仰木さんの体が宙を舞っているとき、すでにロッカールームで帰り支度を始めていた吉井に、「すまん!」と頭を下げた私は「ほかの選手も待っているんだ。ユニホームを着ろ」と説得。なんとかビールかけには参加したのもいい思い出だ。