共栄学園を初の甲子園に導いた“熱血漢”青年監督の正体 江戸川河川敷からの大躍進!
春夏通じて初の甲子園切符を掴んだ共栄学園(東東京)。
7月30日の東亜学園との決勝戦の勝ち方は鮮やかだった。1点ビハインドの九回2死一、二塁で7番・打野が三塁線へ絶妙なセーフティーバントを決めた。相手のミスも誘って二塁走者が生還。同点に追いつくと、さらに一、三塁からダブルスチールを仕掛けて逆転に成功。すると、一気呵成に7得点を挙げ、相手を圧倒した。
2012年から共栄学園を率いる原田健輔監督(37)は就任12年目。本人いわく、浦和学院(埼玉)時代は3年春に甲子園に進出するも、ベンチ外の控え投手だった。共栄大を経て信用金庫に就職したが、リーマン・ショックによる金融危機に直面して将来に不安を覚え、共栄大の恩師に今後について相談。共栄学園の事務職員に転職し、その後、監督に就任した。
「転職した当初は、野球部で指導しながら、共栄幼稚園のバスの運転手を務めていました」(学校関係者)
かつて女子校だった共栄学園は、03年に共学化したばかりで、野球部は夏未勝利の弱小チームだった。練習環境も恵まれておらず、葛飾区の学校から、埼玉・三郷の江戸川河川敷グラウンドまで自転車で片道40分かけて向かい、リトルリーグや草野球チームを横目に汗を流す。