かつての横綱が“満身創痍”照ノ富士を語る「本人が一番つらいはず」と八角理事長&芝田山広報部長
「今場所も久々に出場して、周囲から『どんな相撲を取るんだ?』『横綱の責任を果たせるのか?』という厳しい目線で見られていますから。そこをよく辛抱していますよ。以前、何かのインタビューで『長く相撲は取れない』と話していたのが印象に残っている。横綱とは、常にそういう立場に置かれているんです」
八角理事長は「おそらく照ノ富士が一番、新横綱の誕生を望んでいるんじゃないかな。今、引退したら横綱不在になってしまいますから」と話した。これは自身の体験を踏まえてのことだろう。
北勝海の現役晩年だった1991年5月場所で千代の富士が引退すると、7月場所は大乃国、翌92年1月場所で旭富士(現伊勢ケ浜親方)が引退。4横綱が、たった1年間で一人横綱になってしまったのだ。
当時の北勝海は首、左肩、腰、両足を痛めて満身創痍。91年9月場所から3場所連続で休場した。休みがちになっている照ノ富士に、当時の自分の姿を重ねているに違いない。
北勝海は一人横綱となった92年3月場所に出場するも、初日から2連敗し休場。翌5月場所直前に引退。93年1月場所で曙が昇進するまで、横綱不在時代となった。(後編につづく)
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【後編を読む】…では、八角理事長と芝田山親方がそれぞれ引退を決意した時の心境を赤裸々に語っている。晩年は横綱としてどのような矜持、責任を持って土俵に上がっていたのか、大相撲ファンなら必読だ。