【昭和の巨魁・田中角栄】昨今の政界のぶざまな体たらくの反動か、「あの」田中角栄に熱い注目が集まっている。
「日本を揺るがせた怪物たち」田原総一朗著
田中角栄に始まって政界なら中曽根康弘、竹下登、小泉純一郎らとの個人的な思い出をちりばめた人物列伝。その最初に登場する角栄は40年前、著者の初取材に驚くほど入念な準備をする人物だったという。当時の田原氏は40代初め。ジャーナリストとして一本立ちして売り出し中という程度だが、田中は田原氏の書いた記事をことごとく読んで取材に臨んだそうだ。要するにこれぞと見込んだ相手は肩書にかかわらず全力で対する“努力の人”だった、ということだ。
高等小学校卒ながら頭の切れは抜群で、法律の細部にまで通じ、並み居る東大卒の官僚を自由に使いこなす才覚と度量の持ち主だった。晩年、腹心の竹下登に裏切られて創政会に派閥を奪われてからは酒浸りで死んでいったが、著者独自の調べではロッキード事件で田中有罪の決定打となった事案について虚偽の証言があった可能性が濃いという。大物政治家の消えた現状を前に、ひそかな嘆きがまじるような筆致が印象的。
(KADOKAWA 1500円+税)
「田中角栄 権力の源泉」大下英治著
新潟の農家に生まれ、立身出世主義を地で行った角栄。父は博労との兼業で、幼かった角栄は吃音でいじめられっ子。しかし恩師との出会いで頭脳をフルに動かす術を身につけた。これが「コンピューター付きブルドーザー」という異名の始まりだった。
土建業を経て政界へ。法律知識を買われて法務政務官に上るが、疑獄事件で逮捕。荒波にもまれつつも選挙で圧勝し、自民党内でのし上がっていく。のちにロッキード疑獄で「刎頚の友」とされた小佐野賢治との出会いは何と獄中。戦後まもない時期のこと。ともに立身栄達の身ながら「陽」の角栄に対する「陰」の小佐野のエピソードも興味つきない。
(イースト・プレス 907円+税)
「田中角栄100の言葉」別冊宝島編集部編
無類の人たらしといわれた角栄の言葉も個性と滋味あふれるものだった。「手柄はすべて人に与えろ」「ドロは自分がかぶれ」「叱るときはサシ。ほめるときは大勢の前」と人の心をつかみ、「用件は便箋1枚に大きな字で。初めに結論を言え」と会議の効率化を図る。
「ウソをつくな。すぐばれる。気の利いたことを言おうとするな。あとが続かない」と小ざかしい真似を戒める。「勤労ということを知らないで育った人は不幸だと思います」には苦労人の感慨がこもり、「暗記教育は古く、くだらないという人がいるが、暗記は教育のなかで一番大切なことのひとつ」は万古不易の教育哲学。(宝島社 1000円+税)