「阿Q正伝」 魯迅著 増田渉訳/角川文庫
気持ちが下降気味になると、魯迅を読む。今回は、角川文庫が改版され、解説を頼まれたこともあって、改めて手に取った。
魯迅と同じように好きなニーチェは「神は死んだ!」と叫んでキリスト教に反逆したが、魯迅は儒教に徹底的に抵抗し、その上から下に押しつける道徳をひっくり返した。
魯迅の存在を私に教えたジャーナリストのむのたけじは、河邑厚徳著「むのたけじ笑う101歳」(平凡社新書)の中で、魯迅に「最も惹かれたのは、論語を真っ正面から敵視したことだな。孔子を真っ正面から叩いたのが彼で、私も本当にそうだと思ったの」と告白し、「左の端にも右の端にも行くな。真ん中で行くのがいい道徳だ」という「中庸」はおかしいと続ける。そして、こう結論づける。
「私は貧乏人の子で、権力支配を受けてきて、それはとんでもないと思っていた。貧乏人が問題を突き詰めて勝負してこそ、世の中を変えられる。真ん中でブラブラやっているのはごまかしだと思ってね。だから私は孔子の論語はごまかしだと思っている」
「真ん中」を装いながら、貧乏人を裏切って、権力、つまり安倍政権にベタッと奉仕しているのが公明党だろう。
例によってカジノ法に最初は反対し、結局は賛成してしまった。いつものパターンだが、だいぶ前にその変節を批判したら、当時の同党書記長の市川雄一が、「変わったのではなく、成長したのだと御理解いただきたい」と開き直ったのが忘れられない。それで私は、こう皮肉ったのである。
「コウモリも成長はするだろう。しかし、成長してもコウモリはコウモリだ」
翁長雄志の死去に伴う沖縄県知事選挙でも、コウモリ党は維新などと一緒に自民党候補の応援に血眼になっている。もともと赤いコウモリの眼が、さらに赤くなっているのだ。
魯迅は「死」という文章の中で、7箇条の遺書のひとつに次の項目を挙げている。
「他人の歯や眼を傷つけながら、報復に反対し、寛容を主張する人間には、絶対に近づいてはならぬ」
「中庸」や「寛容」などクソクラエ!
私はいま、右でも左でもないと中庸を気取る人間や、公明党および創価学会を支持する人間に、憎悪に近い憎しみを抱いている。
そうした人間はみな、結局は腐臭ただよう安倍政権を全面的に応援していることになるのだ。
★★★(選者・佐高信)