「ふたりぐらし」桜木紫乃氏
北海道に暮らす40歳で元映写技師の信好と、35歳で看護師の紗弓の夫婦を主人公にした10編の連作短編集だ。
信好は映画関係の仕事で収入を得ようとするがうまくいかず、女房に食べさせてもらっていることに引け目を感じている。一方、紗弓は母親との確執を引きずり、実家との交流は薄い。人付き合いが不器用な者同士、寄り添うように暮らす様を周囲の人々の姿と絡めながら1話ずつ、紡いでいく。
「夫婦には、思っていることを言わないでいたり、日常の小さな嘘は、よくあるものです。けれどその嘘は自分のためではなく、相手のためや関係を維持するため、ということもあると思うんですね。小さな嘘の積み重なりは、はたからは裏切りにも見えるかもしれませんが、私は違うのではないか、と。黙っていることを含めての秘密を抱える2人が、ゆっくりと関係を育てていく姿を描きました」
物語は、信好と母親をつづった「コオロギ」から幕を開ける。夫と死別して以来一人で暮らす母親とは、通院の付き添いで週に1度会っていた信好だったが、認知が低下していることも、診察前の昼食を母親におごってもらっていることも、紗弓に言わないでいる。遠慮といえば聞こえはいいが、これ以上、女房に弱みを握られたくなかったのだ。その母親が突然亡くなる。
紗弓もまた、実家に行くときは信好には夜勤があると言い、実家では「夫がよろしくと言っていた」と嘘をつく。信好を「ヒモ」と言う母親を疎ましく思いながらも、事実、子供を持つことをためらう日々に、やりきれない思いを抱くこともある。
「信好と紗弓は色で言えば薄い水色なんですよ。2人で生きていくことに精いっぱいで平凡な毎日の繰り返しですが、関わる人たちによって波風が立ち、その色合いが少しずつ変わっていきます。でも、これって夫婦だけでなく人と人との関係も同じ。最初から最後まで一色なんてことはなくて、水彩画のように色を重ねながら関係はつくられていくもんじゃないでしょうか」
1話ごとにさまざまなふたりぐらしが登場する。一緒に暮らしたいと願う紗弓の同僚看護師、信好の実家の隣家の老夫婦、ふたりぐらしへ一歩踏み出した中年男性……。時に彼らの思いに触れ動揺し、紗弓は信好の浮気を疑い、信好は義父の秘密を知ったりと、ページをめくるに従い、その関係は静かに変化していく。
「小説を書きながら、夫婦に限らず長く一緒に暮らすというのは、相手と毎日出会って、毎日別れることの積み重ねだと思いました。ずっと一緒にいるのだけど、相手の違う一面に出会い、別れて翌日また出会う。だから、相手の全部を知ったようなつもりでいると、明日、出会えないんですよ。こういう人なんだと切り捨てたら、明日は出会えません。そこはかいかぶってはいけないですね」
執筆中、著者は実生活で子供たちが独立、久しぶりに「ふたりぐらし」になったという。
「父親、母親の役割を外れて色気抜きの男女に戻ったんですが、いろいろな発見がありますね。夫は私のサッパリした子離れぶりに驚いているようで、まさに毎日出会って、毎日別れてですよ。見渡すとふたりぐらしは多くて、小説『ホテルローヤル』のモデルになったホテルをつくった父は、苦労をかけた母を看病しながら生活しています。最後まで一緒にいたいんだ、なんて言って」
どことなく頼りない信好しかり、紗弓の毒舌の母しかり、なぜこの人と一緒にいるのか? と思う人々にも著者は温かな視線を向ける。
「誰にでも、その人しか添えない人がいる気がします。なぜと聞かれても、この人でないとダメな理由が分からないから一緒にいるのかもしれませんね」
(新潮社 1450円+税)
▽さくらぎ・しの 1965年、北海道生まれ。2002年「雪虫」で第82回オール讀物新人賞を受賞。13年「ラブレス」で第19回島清恋愛文学賞、「ホテルローヤル」で第149回直木賞受賞。著書に「硝子の葦」「裸の華」「ブルース」「星々たち」など多数。