妻を亡くした知人は「闘わない」と決めていたのだろうか
Mさんは水分しか飲めなくなり、近くの晩酌屋にも通えなくなり、日に日に体力がなくなり、それでも病院に行こうとはしなかった。その自分をどう見つめて過ごしたのだろうか? きっと孤独に耐えた毎日だっただろう。そして、どうにもならなくなってから「佐々木に連絡してくれ」と口にしたのだ。
この私の想像を兄Oさんに話してみました。Oさんは「自分もそうだろうと思った。弟は、どうにもならなくなるまで耐えていたんだろう。その精神力は並のものではない」と、うなずかれていました。
奥さまのUさんががんと闘っている時、われわれ医療者は、患者であるUさんばかりに気を取られ、夫のMさんのことは、ほとんど気にかけていなかった……。
私には後悔が残りました。がんを早く見つければ、Uさんのような状況になることはないし、苦労せずに治るのだということを、Mさんにたくさん言ってあげればよかった……。
しかし、Mさんがあれほどの状態になってから「佐々木先生にお願いしてくれ」と口にしたのは、最期をつらくなくしてほしいということだったのか? それとも「生きたい」という気持ちになったのだろうか? 本当のところは分かりませんが、私を指名してくれたことは重く心に残りました。
今はがんの診断も治療法もかなり進歩し、たとえ進行したがんでも治癒する方が多くなってきています。そして、早期からの心と体の緩和ケアも充実してきました。患者さん本人はもちろん、その周囲の方々も含めたがん医療の環境は、大きく変わっているのです。