すぐに余命を考えました…松崎悦子さんが語る印環細胞がん
術後4カ月でステージに復帰
一番問題だったのが食事です。手術で食道と小腸をつなげたので、小腸が胃の代わりをするまでの1~2カ月はとてもつらかった。
初めての食事は重湯なんですけれど、それですら体が受け付けない。朝食後はいつも気持ち悪くて、午後に少し良くなるとリハビリ……という入院生活でした。
3週間ほどで退院した後も食事は相変わらず大変で、わずかな添加物で具合が悪くなってしまう。それで娘がだしから手作りして食事を用意してくれました。
そんな私を一気に元気にしてくれたのは、娘と2人で行った3週間のハワイ旅行でした。ハワイは年に2~3回行くほど大好きな場所です。術後まだ3カ月だったので迷いましたが、幸い、抗がん剤治療は必要なかったので思い切って行ってきました。最初は不安でしたけれど、あの景色とあの空気の中で毎日散歩していたら、すっごく元気になったんです。
帰国後、家でジッとしていられなくなって、ステージに復帰したのが12月。術後4カ月でした。
本当は病気のことは一切公表せずに、何事もなかったようにス~ッとステージに戻りたかったのですが、関係者のみなさんに「暗いニュースが多い中で明るい出来事だからご報告しましょうよ」と言われて、復帰初のステージでがんのことを公表したのです。
一番恐れていたダンピング症状(小腸に食べ物が直接流れ込むことで起こる頭痛やめまい、発熱や嘔吐など)も軽くて本当によかった。あまりステージを離れてしまうと、ステージに立つのが怖くなって「もうこのままでもいいか」となるのが心配だったのです。
病気をしてみて、応援してくださる人の心の温かさに気づきました。化学療法などで私よりもっと長くつらい思いをされている方もいらっしゃると考えると、「くじけてられない」と思いました。そして何より、「胃カメラ検査してみますか?」と言ってくれた先生に感謝です。あと1年放置していたらどうなっていたことか……。
これからだってわかりませんが、先のことを考え過ぎると怖いので、今立っている場所から見える範囲のところで頑張ろうかなと思っています。
(聞き手=松永詠美子)
▽まつざき・えつこ 1951年、愛知県生まれ。学生時代にアマチュアバンド「チェリッシュ」に紅一点の女性ボーカルとして加入。71年「なのにあなたは京都へゆくの」でデビューし、翌年からデュオで活動を始める。73年に「てんとう虫のサンバ」「白いギター」などがヒットし、数々の歌謡賞を受賞。NHK紅白歌合戦にも初出場を果たした。77年にパートナーの松崎好孝氏と結婚。コンスタントに新曲を発表しつつテレビやラジオで活躍。出産や子育てを経て、アメリカと日本を行き来する生活を続けながら、現在もコンサート活動で全国を飛び回っている。