ルネサンス期の“3大巨匠”ラファエロの悲恋と瀉血療法
中世ヨーロッパで「梅毒」の犠牲となったと言われる芸術家は、ベートーベンやシューベルトといった作曲家だけではありません。レオナルドダヴィンチ、ミケランジェロと並ぶ盛期ルネサンスの3大巨匠に数えられるラファエロもそのひとりと言われています。37歳の短い生涯で120点以上の作品を残した天才芸術家で、優美で女性的な作品が多く「聖母子像」は有名です。
イタリアの都市国家ウルピーノの宮廷画家の息子で、8歳のときに母が、11歳のときに父が他界。その後、ペルージャに出てヴァチカンやシスティーナ礼拝堂の壁画を担当したペルジーノに師事します。フィレンツェに滞在した後、ローマに出てローマ教皇に支持されヴァチカン宮殿の「署名の間」の壁画を担当。「アテナイの学堂」「聖体の論議」など数々の名作を世に送り出します。
また、ラファエロは50名を越える助手や弟子を抱える工房を率いており、絵画制作だけでなく、サンピエトロ大聖堂の主任建築家でもありました。
そんなラファエロは「女ったらし」と言われるほどの女性好き。「美しい女性を描くには、多くの女性と付き合わなければならない」との言葉を残したともいわれ、実際、ある壁画を描いた時には恋人が気になって仕事にならないというので、発注主がその女性と同棲させてやることで何とか壁画を完成させた、とのエピソードが残されています。