40代でがん転移 小さな子供を2人残し…「幸せだった」が最期の言葉
その段階で仕事は辞め、福祉サービスに頼るようになるのですが、病気療養は何かと物入りなことばかりで、しかも小さなお子さんを抱えての生活ではなおさらです。40代なので介護保険は使えるのですが、子どものための食事の用意などは、本人の介護保険で賄えません。それでも母子3人で少しでも長く過ごしたいという患者さんの希望から、私たちの在宅医療がスタートしたのでした。
まず私たちが取り組んだのは、強い痛みが少しでも和らぐように調整することでした。また、訪問看護さんやケアマネジャーさんたちのチームにお願いして、子どもたちの食事の用意や遊び相手になってもらうようにもしました。上のお兄ちゃんは8歳になったばかりで甘えたい盛りですが、具合の悪いお母さんを前に途方に暮れるばかり。そしてお母さんはそんな我が子を力なく抱きしめるしかできませんでした。
やがて病状が悪化したためご実家近くにアパートを借り、患者さんのお母さんと同居を始め、在宅医療を開始して半年後となるある日、家族とスタッフに見守られる中、旅立っていきました。
最期に患者さんが残された「幸せだった。ありがとう」の言葉はいまも私たちの心に強く残っています。