医師の原点“慈しみ”の対極にあるのが“怨み”なのだろうか
帰宅すると、テレビのニュースでは、戦争で小児病院が爆撃されたと報じていました。建物の残骸が映っています。道端に倒れた人をぼかして分からないようにしています。「兵士だけでなく、住民を撃った」「学校に爆撃した」……。犠牲者の数の報道は毎日続いています。生まれて数カ月の子も犠牲になっています。
しかし人間は、どうしてこんな無謀な、無残なことを繰り返すのだろうか? と思います。いつまで戦争を続けるのでしょう? たくさんの命が奪われて、それでも続いています。
われわれは77年前の原爆投下で、もう、戦争はできる時代ではなくなったと思って過ごしてきたように思います。どんな怨みがあっても、人を殺す戦争はすべきではありません。一日でも早く戦争をなくして欲しいと思います。
哲学者の中村元が翻訳した「法句経」にこんな言葉があります。
「実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。『われらは、この世において死ぬはずのものである』と覚悟をしよう。--このことわりを他の人々は知っていない。しかし、人々がこのことわりを知れば、争いはしずまる」
戦争を起こしている一人の為政者の怨みが、たくさんの人の命を奪っていると思います。「慈しみ」の対極にあるのが、「怨み」なのでしょうか。