元横綱親方2人に聞いた 休場の稀勢の里「再起」へのヒント
当時25歳。引退の2文字が脳裏に浮かびかけたころ、出合ったのが「冷凍治療」だったという。
「2、3人は入れる冷凍庫の温度はマイナス190度。そこに短パン、靴、手袋、耳あて、マスク以外は裸で30~40秒くらい入る。すると体の芯まで冷えて感覚がマヒします。痛みを感じなくなっている間にトレーニングするのです。ウエートトレーニングや腹筋と背筋を1000回ずつとか。動いては冷やし、動いては冷やす……その繰り返しです。そんなリハビリを1日8時間、3カ月くらい続けました。良くなったり悪くなったりでしたけど、稽古よりつらかったし、次第に他の力士より体は動かしているという自信はついてきた。それだけ長い間、相撲を取らなかった経験もなかったし、相撲勘が戻るのか不安はありましたけどね」
再起と復活をかけた翌89年1月場所で、4回目の幕内優勝。その後も4回優勝、幕内最高優勝8回で現役生活を終えた。
■周囲で雑音も「信じるのは自分自身」
芝田山親方は横綱昇進と同時につまずいた。新横綱の87年11月場所は8勝7敗、翌88年1月場所は5勝4敗で10日目から途中休場。横綱3場所目の3月場所は初日から3日目で1勝2敗。マスコミは横綱3場所目で早くも引退か、と騒ぎ立てた。