腐った平昌五輪 政治ショー化で問われる“祭典”の存在意義
これほど政治色の強い五輪は記憶にない。
2月9日に開幕する平昌五輪。北朝鮮の参加が決まり、開催国の韓国では、北朝鮮選手、応援団の滞在費用支援や女子アイスホッケーの合同チームを認めた文在寅大統領(65)の「北に甘い」決断への批判が日に日に高まっている。
文大統領は「平昌五輪の成功に北朝鮮参加は不可欠」と主張し続けてきたが、それにはいくつかの理由がある。そもそも韓国では冬季競技はそれほど盛んではない。前売りチケットは売れず、税金で買い上げるほど不人気だ。「平和の祭典」ともいわれる五輪を成功に導くには、どうしても「敵国」を引っ張り出さねばならなかった。
さらに、自国開催の五輪をきっかけに両国の緊張を緩和し、北朝鮮の核・ミサイル開発を巡る膠着状態を打開したい。あわよくば一触即発の状態にある米朝関係改善の主導権を握りたいとの思惑も見え隠れする。
一方、核や弾道ミサイルの実験を続ける北朝鮮は経済制裁が徐々にこたえてきた。金正恩委員長(34)は、世界に浸透している「危険なテロ国家」というイメージを、五輪に送り込む女性応援団の笑顔や楽団の演奏、韓国との合同入場などで払拭し、ダメージを最小限にとどめたい。同時に韓国との融和ムードを高め、米韓関係にもクサビを打ち込みたいはずだ。