「史上最弱横綱」稀勢の里を生んだ“機能不全”横審の大罪
昇進基準無視にもろ手で賛成
稀勢の里が昇進を決めたのは、17年1月場所で初優勝した直後。前場所は優勝した鶴竜に2差をつけられての12勝3敗と、「2場所連続優勝、あるいはそれに準ずる成績」という昇進基準を無視してのものだった。
横綱昇進の手順として、まず審判部が臨時理事会の開催を依頼。それを受けて協会執行部が横審に諮問を行う。当時、協会側は昇進基準の代わりに「前年の最多勝(69勝)」を横綱推挙の理由に挙げていた。
これに、横審はもろ手を挙げて賛成。昇進基準の無視を批判するどころか、たった15分の話し合いで昇進を決めてしまった。
当時の守屋委員長は「(昇進させても)もうよろしいのではないか。(期待しているのは)私というより国民でしょう」と言う始末だった。
前出の中澤氏は「本来、横審とは相撲協会のチェック機関ではないか」と、こう話す。
「横審が誕生したのは1950年。当時、東富士、照国、羽黒山の3横綱がいたが、成績不振のため、協会は横綱の大関降格ルールをつくってしまった(後に撤廃)。これに好角家たちが『自分たちで横綱をつくっておいて、降格を許すようでは権威も何もない』と猛反発。『強い横綱をつくらなくてはならん』という名目で横審が誕生した。それが今の横審は何ですか。見識も知識もないド素人の集団。しかも、彼らの素人目で見ても、稽古総見の稀勢の里は『不安』だったというじゃないですか。それが実際に3連敗。引退勧告などをすべきなのに、それすらできない。これでは何のためにあるのかわかりませんよ」