映画「ゴジラ」で読み解く日本的な物語の構図
また、ゴジラが皇居を踏まずに南の海へと恨めしげに帰っていく姿は、第2次世界大戦で海の藻くずと散った英霊たちの魂の象徴ともとらえられ、「ゴジラ」は南太平洋で死んでいった兵士への「鎮魂映画」と説く。
さらには「犠牲」というテーマも俎上に載せている。映画のラストは、ゴジラを退治するために科学者の芹沢がひとり命を賭して犠牲になる。そこには神風特攻隊や人間魚雷で落命した兵士の姿も重なる。
敗戦から10年もたたない、戦争の記憶が生々しく残る時代に、ゴジラが製作・公開された意義は大きいのだ。
そもそも映画では、大戸島という架空の島に伝わる「呉爾羅伝説」が源で、ゴジラは異形の神という設定だ。放射熱線をまき散らす邪神に対して、人々はなす術もなく無力である。鎮魂祭を催し、ただ祈るしかない。民俗学的見地ではここに日本人の精神性の原風景が表されているという。街を破壊し尽くすゴジラは地震や津波同様、自然がもたらす「災厄」の象徴でもある。
著者は「ゴジラ」だけでなく、宮崎駿の映画「風の谷のナウシカ」という日本が誇る名作にも目を向けている。敗戦時の日本に重ね合わせるだけでなく、現代の日本にも通ずる不安や危機感を思索しているところが慧眼だ。