間瀬翔太さん患った脳動静脈奇形 異変から手術、今の心境
3日間、目が覚めなかったら、自動的に遺書がブログにアップされるように設定して手術に臨みました。今の当面の目標は、脳出血から1年となる今年の7月20日まで無事に生きることです。それくらいまだ怖いところがあるし、後遺症とも闘っている最中です。
異変は、幼馴染みとレコーディングスタジオで新曲のレコーディングをしていたときにいきなりきました。後ろの壁に頭がバーンとぶつかったような衝撃を覚えたのです。「え? こんなに壁近かったかな。揺れてるのか? 地震?」と思って振り返ると、壁は遠いし、頭は激痛。友人を呼ぼうとしたら、幼馴染みなのに名前が思い出せなくて「これは脳かも」と直感しました。
マネジャーに来てもらい向かった病院では、最初に「風邪」と言われました。たまたましっかりしゃべれてしまったので、脳出血の疑いが除外されてしまったんですね。でもCTをお願いしたら、左脳にわずかな出血が認められ、そこからは即入院、ICUでの3日間に及ぶ検査と精密検査の結果、やっと「脳動静脈奇形」と診断されました。なかなか診断がつかなかったのは、僕が左利きで、そのうえ左脳をほとんど使わず生きていた稀なタイプだったので、左脳出血しても体へのダメージが少なかったからのようです。
その後、都内の別の大きな病院に転院となり、その2週間後に開頭手術が行われました。
脳動静脈奇形は、脳の動脈と静脈が直接つながり、とぐろを巻いたような塊になる先天性の血管奇形です。10万人に1人の難病で、発覚の際に前兆はなく、突然脳出血や意識障害などで倒れて初めて分かるケースが多いそうです。でも僕はその2カ月前から首の後ろや左目のまぶたの奥、おでこに痛みがあって、大きな病院を3カ所ほど受診していました。すべて「風邪」と診断されてしまったんですけど、前兆だとすればかなり珍しいようです。
開頭手術では、とぐろを巻いて塊になっている部分を摘出したわけですが、正常な血管と見分けながら剥離していくので難易度は高め。時間も僕の場合は約7時間かかりました。塊ができた場所や大きさ、形状によっては手術できないケースもあるので、そういう意味では僕は手術できただけラッキーでした。
■頭蓋骨3枚が金属プレートで飛行機に乗れず
ただ、そんなふうに言えるのは今だから。入院した当時は絶望のどん底で、手術までの間は苛立ちを隠せませんでした。脳のダメージもあったと思いますけど、点滴を抜いてしまったり、食事をバーンと床にぶちまけたり、先生に向かって「おまえに何が分かる!」と暴言を吐いたり……。ひどいですね(苦笑い)。僕としてはいつ大量出血するか分からないという状況だったので、「早く手術をしてほしい」とひたすら焦っていました。
そして8月7日に手術を受け、退院したのは8月18日。脳出血から1カ月の入院生活でした。その間ずっと「明日も起きられますように」と思いながら寝て、朝「ああ、朝だ、やった!」を繰り返す毎日。それが入院中から今も続いています。
脳動静脈奇形の人のうち、脳血管が切れてしまう人の確率は2%なのですが、手術後の1年間は普通の人より出血しやすい率が6%高いので、正直まだまだ怖いのです。
おかげさまで今でこそ普通に話せますけど、術後は口がほとんど開けられませんでした。というのも、手術で顎の骨が半分なくなって金属が入っているのです。だから、今話せるのはリハビリのたまものです。初めはスプーンも口に入らないから、食べ物も飲み物もこぼしていました。今でも指2本分ぐらい開けるのが限界です。実は頭蓋骨も3枚ほど金属プレートになっているので、しばらくは飛行機に乗れません(笑い)。
一番の後遺症は記憶障害です。今、毎日取り組んでいる漢字ドリルや算数ドリルで、やっと小学5、6年生になったところ。仕事をした記憶もところどころ消えていて、少しずつ取り戻している最中です。ただ、記憶を無理に思い出そうとすると泡を吹いて倒れる「てんかん」を起こしてしまうので要注意です。現に数カ月前にそれがあって救急車で運ばれました……本当にまだまだ安心できない状況です。
見た目が金髪だったり元気そうな若者なので、記憶障害やパニック障害やてんかんなど、分かってもらえないんですけど「一見して分からなくても病気で苦しんでる人はたくさんいるんだ」ということを発信していきたいと思っています。芸能人の脳動静脈奇形第1号として僕は明るく生き、この病気の希望や礎になりたいです。難病指定を訴えるChange.org署名活動や日本赤十字社への募金を目指したセレブレイトメッセージ活動も頑張ります。
先日、迎えられないと思っていた誕生日を迎えることができて、ファンの方たちが一丸となってプレゼントをくれました。本当に生きていてよかったと痛感しましたし、今度は僕が助ける側になりたいと思いました。
(聞き手=松永詠美子)
▽ませ・しょうた 1986年、北海道生まれ、東京育ち。17歳でスカウトされ、2004年にアイドルグループ「BLIZZARD」のメインボーカルとしてデビュー。06年に解散後は俳優として「龍が如く6」「愛なき森で叫べ」「妖ばなし」などに出演。16年はソロでの歌手デビューを果たし、18年には「Butterfly Effect」がドラマ「家政婦は見た!」のエンディングテーマに起用されるなど、活躍の幅を広げている。19年に手術を乗り越えて現在は活動を再開。この病気の難病指定のための活動やヘルプマークの認知度アップなどに尽力している。