サッカー選手の松本光平さん 外傷性の両眼の障害との闘い
その時から右目は真っ白で何も見えなくなっており、尋常ではない痛みが続いていました。寮にいるチームメートに連絡をして救急車を呼んでもらい、街にある大きな病院に運んでもらいました。でも、「今日は目の専門医がいない。眼球は割れていないので大丈夫なんじゃないかと思う。明日また来てくれ」と言われ、そのまま帰宅しました。
翌日は目の専門医がいたものの「炎症が激しすぎてしっかり見えないから1週間後にまた来てくれ」とのこと。仕方がないのでほぼ何も見えないのに、寮で1人暮らしを続けました。コロナ禍で街がロックダウンしていて外食ができない時期だったので、買い物をチームメートにお願いして、あとは自炊。ニンジンがどこまでむけたか、肉が焼けたかどうかも見えないので、ずいぶん焦げた肉を食べました(笑い)。
食べるのはもちろん、歩く振動でも右目が痛い状態です。眼圧が高いせいなのか嘔吐することもありました。結局、ニュージーランドの病院では「黄斑部に穴が開いていて手の施しようがない。最悪は眼球摘出になる」と言われてしまいました。
並行して日本のトップクラスの眼科医に相談していたので、現地の診断結果が出た段階で帰国を決意しました。飛行機に乗れる程度まで眼圧が下がるのを待って、帰ってきたのが5月末日。コロナ禍なので帰国者は2週間、隔離用ホテルに滞在となりますが、病院指定のホテルだったので翌日には診察を受けることができました。